朝日新聞 社説 世紀を築く(26) 平成11年12月6日掲載分全文

 ウオ−キングの街 「車を気にせず悠々歩く」


 東京五輪を間近に控えた1964年9月16日付の本紙に、「歩け歩け」という見だしのついた社説が掲載された。

 都市生活者の歩く機会が失われていくことに警鐘を鳴らし、人間性回復のためにも歩こう、と呼びかけた。

 その前年に米大陸徒歩横断を成し遂げた早大生らが、社説に共鳴して「歩け歩けの会」を設立した。現在の日本歩け歩け協会(日歩協)の前進である。

 「一日一万歩」をスロ−ガンにした日本万歩クラブも相前後して旗揚げし、それぞれ歩く運動に取り組んできた。

 総理府の世論調査によると、いまでは、「一年間に行なった運動、スポ−ツ」としてウオ−キングが断然多く、成人の32%が楽しんでいる。「今後行ないたい運動、スポ−ツ」でも32%と、「軽い水泳」の21%を引き離してトップである。

  負荷が小さいのが利点

 高血圧や糖尿病など、生活習慣病の運動療法にウオ−キングがいいことはよく知られている。超高齢化社会を迎え、健康な老後生活を送るうえで、過剰な負荷のないウオ−キングの評価は高まる一方だ。

 だが、この日本で快適なウオ−キングを楽しめる場所がどれほどあるかとなると、はたと考え込んでしまう。

 64年の社説は、「せっかく散歩しようと思っても、都会生活者からはどんどん歩ける場所が奪い去られ、逆比例して歩行危険度が増大している」と指摘した。車の混雑と道路工事、歩道のない舗装道路・・。なんというみじめな都会生活か、と嘆いている。

 それから35年。状況が大きく改善されたようには見えない。

 確かに歩道は増え、車との接触の危険は以前より少なくなった。しかし、騒音や排ガスにさらされずに歩ける道は、どれだけあるだろうか。歩道はあっても、車いすどころか歩行者同士のすれ違いにも差し支えるような場所が、そこら中にある。

 車を気にせずに悠々と歩こうとすれば、時間と費用をかけて遠くへ出かけるしかない。中高年の山歩きブ−ムの背景には、そんな歩行環境の貧しさもありそうだ。

 道路行政も都市計画も、はじめに車ありき、の思想で進められてきた。歩道は車道に付随する「おまけ」の扱いである。

 日歩協副会長の村山友宏・日本都市計画家協会理事は、「歩行者最優先のウオ−カブルシティ-(歩ける、歩きたくなる街)をつくろう」と提唱している。車優先の従来の発想を転換しようという訴えだ。

 建設省もそうした声を背に、住宅地の通過車両を減らすコミュニティ-ゾ−ン事業や、歩行者のために豊かな自然や文化的施設などを道で結ぶウオ−キングトレ−ル事業に乗り出した。

 しかし、両事業を合わせた予算は毎年約150億円にすぎず、年間2兆5000億円を越す同省の道路整備費の中では、申し訳程度の額である。既得権益に縛られた財政構造が、ここにも影を落とす。

 政府の経済新生対策も「歩いて暮らせる街づくり」を掲げている。これらをモデル事業に終わらせてはなるまい。

 公共事業のあり方を大胆に見なおす中で、政策の転換を図らなければならない。その視点は歩行者優先である。

 参考になるのは、自動車王国・米国での取り組みだろう。

 例えば、コロラド州の学園都市、ボ−ルダ−市は80年に、全米に呼びかけて歩行者会議を開いた。みずから歩行者の街」を宣言するとともに、歩行者優先の地域社会をつくり続けてきた。

 同市では居住と学習、遊びの場がコンパクトに一体化され、歩くか自転車に乗って移動するのが最も便利で、車を使うと不便になるように街が設計されている。

 通過車両をなくすため、市の中心部を走る幹線道路を完全な歩行者モ−ルに改造した。そこは、市内に張り巡らせた歩行者のための生活道路網の中心として、市民のそぞろ歩きの場となった。

 その結果、衰退していた商店街に人が戻り、全米から有名店が出店して魅力的な観光名所となっている。

 大型店の進出などで、商店街がさびれる一方の日本とは大違いだ。歩行者優先は、地域の活性化にとっても欠かせない。

  長距離ル−トも整える

 徒歩旅行を続けてきた山浦正昭さん(56)は、欧州の農村地域では歩くための道が大事に保持されていることに気づいた。地図に赤い線で示された歩く道が、人体の血管のようにネットワ−ク化されている。

 ここ10年ほど、東欧諸国も含め、国境を越えた長距離の徒歩旅行をするためのル−トも整備されてきた。

 山浦さんは「日本でも農村には快適に歩ける道がまだ残っている」と話す。土地の人にとっては「何でもないところ」が、すばらしい農村風景であったりする。

 こうした地域全体を、生きた美術館や博物館として保全し、歩くためのル−トを設定して歴史を学び、自然に親しむ道にしようというのが、山浦さんの提案だ。

 家族で、友人同士で、長距離の歩き旅を楽しめる環境をぜひ整えたいものだ。

 ひたすら走り続けた日本社会を、余裕をもってゆったり歩く社会に切り替えるときがきているのではないか。

ホ−ム