| アシリ レラさんのより詳しい情報はグーグルで検索すれば沢山でてきます。私のお薦めは田口ランディさんが1999年11月のメルマガに掲載したインタビュー記事です。ここに転載引用させていただきましたのでお読みください。 |
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★★田口ランディのコラムマガジン★★1999.11.29 -------------------------------------------------------------------------- 「アイヌのシャーマンに教えられたこと」 -------------------------------------------------------------------------- 「北海道にアイヌのシャーマンに会いに行くんだよ」と私が言うと、友人達は(またか?)って顔をした。「あんたは本当に今年はよく神様関係に会いに行くわねえ!」と呆れつつ感心された。「いっそのこと神様系ライターってことで売りだせばいいじゃん」と笑われた。 そんな怪しい者になりたいわけじゃない。だけど、とにかく今年は神様に縁がある年なのだ。もう諦めるしかない。ちっとも飯の種にはならないけれど、なんだか気がつくと旅をしている。 そして今回も私は苫小牧のバス亭で、小雨の中、バスを待っていた。千歳空港からバスを乗り継いで二風谷と呼ばれるアイヌ・コタンへ行ためだ。そこに、山道康子、アイヌ名アシリ・レラという女性を訪ねるのが今回の旅の目的だった。 アシリ・レラという人を全く知らなかった。それどころか私アイヌについてもよく知らない。もちろん迫害を受けて来た日本の少数民族であることは知識として知っているけど、それ以上の事を何も知らない。 知らないというのも力だ、と思い、出かける前もあまり勉強してこなかった。付け焼き刃の知識を詰め込むよりも、まっさらな目でアイヌという人々を見た方がいい。よけいな既成概念があるとかえって感覚が濁る。 謙虚に聞け、あるがままを受け止めろ。自分にそう言い聞かせて来た。知ったかぶりすんなよ、と。だから旅の前に私が読んだのはアイヌに関する本1冊のみだった。 富川というバス停で降りたら、そばのダイエーの中で風をしのいて待っていろと言われた。言われた通りにダイエーの中で待っていると、しばらくして 太った背の低い女性がやって来た。アイヌっぽい刺繍の入った袢纏とヘアバンドをしている。 この人がアシリ・レラさんだと直感した。向こうも私の顔を見るとすぐに「あんた若いわねえ、もっとオバさんが来るとばっかり思ってたわよ」と言ってがっはっはと笑う。それから昔からの知りあいみたいに「買い物してくからつきあってよね〜」と言われた。 私だってシャーマンと言うから70歳くらいの老婆だと思っていたのに、とんでもない。アシリ・レラさんは50代前半の女性で溌剌としてパワフルだ。 その迫力、しゃべり方、声が、代議士の田中真紀子さんに似ている。早口で洒落を連発し、機転が利き、シャーマンというより女社長みたいだ。(どこがシャーマンなんだよ〜)と私は心の中で叫んだ。これが私とアシリ・レラさんの最初の出会いだった。 ■アシリ・レラという人 アシリ・レラさんについて語ると、本一冊でも足りない。とても短いコラムに彼女の人生を凝縮することはできない。こういう時いつもメルマガの限界を感じてしまうなあ。 ごくごくかいつまんで説明すると、彼女は二風谷で「山道アイヌ語学校」という学校を作り、事情があって親と暮らせない子供たちを引き取り、自分の養子にし、育て、共同生活をしている。これについては誤解を招くのを避けるために、別の機会に詳しく書きたいと思う。 二風谷は普通の民家が立ち並ぶ一見なんの変哲もない町である。でも、山の麓の彼女の土地だけは別だ。一歩踏み込むと、いくつのもチセと呼ばれる藁葺きの小屋が立ち、その中には囲炉裏が掘られ「イウナ」というアイヌの神が飾られ、昔ながらのアイヌの生活が受け継がれている。 まるで映画のセットみたいに、山道アイヌ語学校のまわりだけが昔ながらのアイヌ・コタンそのものの風情を残している。囲炉裏に燃える薪、干したシャケの頭、薬草のヤカン、むっくり。 「私が民族運動に目覚めたのは15歳の頃だったなあ。学校の先生がね、歴史の授業が終わった時に、最後に一言こう言ったのよ。この歴史はウソだからなって。それは私たちアイヌの子供たちへの思いやりだったと思うのね」 「だって、日本には昔から大和民族しかいなかったみたいな歴史を教えるじゃない。だけど、そうじゃない、アイヌがいたんだってこと、先生はわかってるわけよ。それで、授業の終りにぼそりと言ったの。この歴史はウソだから な、って。私、あの言葉を忘れない。本当にそれを聞いた時に嬉しかった。あの一言があったから、今日までアイヌ文化を、アイヌ民族を守るために運動し て来れたんだと思う。先生のあの一言に力づけられてね」 早くに結婚し子供をもつが、ご主人を事故で亡くす。それから28歳の時に二風谷で土産物屋を始める。店は繁盛し人を使って商売し裕福な暮しもできるようになる。 「でも、その頃から、お金が入れば入るほど、自分のアイヌとしての生き方を見失っていくようで怖くなってしまったの。このまま、お金を儲けたら、どんどん物を大切にしなくなって、自然への感謝を忘れて、自分はアイヌじゃなくなっちゃうって思った」 そして、アシリ・レラさんは10年も続けて繁盛していた土産物屋を突然に 閉めてしまう。 「バカだと思うよ。自分でも。わざわざ貧乏になってさ。でもね、このまま続けていたら自分ではなくなってしまう、と思ったのさ」「それから農家の手伝いをして暮らしたよ。もう、子供たちにもいきなり貧乏させてねえ。おやつもお菓子なんか一切食べなくなった。野菜や木の実、山菜が主食ね。畑を借りて自分で野菜を作りながら暮し始めて、そんで、貧乏のまま、今に至るわけよ」 山道アイヌ語学校を始めたのは8年ほど前。ある民族運動の集会で大阪に行った時のこと。大阪で在日韓国人の中学生が同級生のイジメにあって、彼女が滞在する会場の近くで飛び降り自殺をした。 「そのときへ、死んだ子の気持ちも、苛めた子の気持ちも、その思いが両方とも私のなかに入って来たの。その瞬間、ああ、子供たちをなんとかしなくちゃいけないって思った。子供たちにアイヌの文化を伝えながら生きる術を教える学校を作ろう、って突然思いついたのね」 彼女の家に滞在していると、毎日、毎日とっかえひっかえ誰かが相談事にやってくる。遺産相続問題から、嫁舅問題まで。時としてアシリ・レラさんは、法律知識のない老人に代わって裁判の代理人も務め、弁護士を相手に法廷で闘う。 そうかと思うと、日照りが続くと雨乞いの祈祷をして雨を降らせたりする。大地を浄霊し、迷える魂を神の国に送る儀式をする。 どう表現すればいいのだろう、とても現実的なシャーマン。弁護士みたいなシャーマン、中小企業の社長みたいなシャーマン、女闘士みたいなシャーマン。レラさんはそういう人なのである。 ■原発予定地とサンクチュアリ 「ねえ、苫小牧に偵察に行くからいっしょに行かない」と、ある日レラさんが言う。「偵察?」「そう。今、苫小牧の東にとてつもない原発と核燃料再処理工場を作る計画が進んでるんだよ。そこは昔、アイヌが住んでいたサンクチュアリなんだ」 車に便乗して話を聞きながら苫小牧に向う。「田口さんも見たと思うけど、二風谷に二風谷ダムってのが出来てただろう?あれって、何のために出来たダムだと思う?」そういえば、真新しいダムが沙流川にでき上がっていた。 「あのダムはね、将来、苫小牧に原発と再処理工場が出来た時のための冷却水を確保する目的で作られたんだ。苫小牧にはね、イギリスやフランスと共同で使う六ケ所村よりも大規模の核燃料再処理工場が作られる計画が進んでいる。いま、4つの団体が共同で反対運動を進めていて、アイヌもそれに加わってるんだ」 そう説明するアシリ・レラさんは、勇猛な古代の女闘士のように見えた。 レラさんが案内してくれたのは苫小牧郊外の広大な湿地帯で、とても案内なしに踏み込むことは不可能なほどバカ広い。そこに、すでに監視塔や、いくつかの研究所が建設されて、アシリ・レラさんたちは秘密裏に事業計画が進行しなかどうかを定期的に偵察しているのだと言う。 「海水で冷やすとサビが来やすい。だから、川の水をここまで引いて来て冷却しようという計画なんだ。近隣の川を巻き込んでの大規模な事業計画が勝手に進んでいる」 「ずっとずっと昔、この広大な湿地にもアイヌが住んでいた。川べり一帯にアイヌは暮し、そしてこの豊かな自然に生かされていた。自然が豊かだったから、アイヌは農耕をする必要もなく、富を蓄える必要もなかったんだ」 「ところが、ここにも侵略の手が入って多くのアイヌが殺された。大規模な殺戮が起こって、殺したアイヌの遺体をこの奥にある弁天沼と呼ばれる沼に放り投げた。だからこの辺りはアイヌのサンクチュアリなんだよ」 車が弁天沼に向って鬱蒼とした木立を走っていく。話が話だけに聞いているだけで気分が重苦しくなってくる。 「弁天沼のあたりにも原発が一基作られる計画なんだけど、もし、あの沼にそんなものが出来たら、沼に鎮められた魂がどんなに嘆き怒るかと思うと恐ろしい。だってね、あの弁天沼は、あまりにも死者の魂が浄化されずに残っているので、弁天様が三日三晩祈祷してボロボロになって出てきた……と言うんで弁天沼って名づけられ場所なんだよ」 怖い話に弱い私は、もうなんだか背筋がゾクゾクしてくる。とはいえ、もちろん、霊能力など皆無の私には何も感じないのだが。 ■人間の義務は祈ること 車が弁天沼に着くと、アシリ・レラさんが沼を指さして言った。「ここはね、写真を撮ると、誰が撮っても絶対に水面に顔が写るほど怨念の強い場所なんだ。私が霊視すると、バラバラに切り刻まれて捨てられる様子が見える。あんたも写真撮ってごらん、写るから」 そんなものを撮ってしまったら始末に困るので、私はカメラすら向けなかったけど、確かにこの沼を撮った写真には顔がたくさん写っていた。子供とか、老人とか、いろんな顔が。 レラさんは子供の頃から霊視の能力があり、30代で火事のため大火傷を負い生死の境をさ迷ってからはさらに霊力が強まってしまったと言う。彼女は大地を鎮め、魂を神のもとに送る力を持っているらしい。それは、アイヌなら誰でもかつては使えた力だとレラさんは言う。 「私たちアイヌは神と魂の存在を信じていたからね。すべての生き物に魂があり神が宿っている。それを信じること、一点の疑いも持たず信じること、それが力なんだよ」と彼女は言った。 「歴史の中で繰り返し繰り返し大地を汚し、そして魂も送らずに放置し、再び原発など作ったらどうなるか。そこまで大地を汚してよいものか」 レラさんはそう言って手を合わせ、祈った。鳥が一斉に飛び立った。 アシリ・レラさんと沼の前で手を合わせて、苫小牧の事業開発予定地を後にしてから、私たちは「静川縄文遺跡」へと向った。「縄文人はアイヌの先祖だからね」とレラさんは言う。 この静川のほとりにある縄文遺跡は、不思議な円環の丘陵に囲まれていた。この地にかつて確かに人が暮らしていた、そのなごやかな雰囲気が今も残っているような気持ちのよい場所だった。 「この円形の丘陵が何の目的で作られたのかわからないのだけどね、でも丘に 登ってみてごらん、本当に気持ちのよい場所だから」 言われた通りに丘の上に登ると、冬の午後の陽射しで北海道の大地はまばゆく輝いている。空気がき〜んと澄んでいて、空の彼方から気流の鳴る音が聞こえてきそうな気がした。 「なんて気持ちのよい場所なんでしょう」と私が言うと、アシリ・レラさんは笑った。「そうだろう、さっきの場所とは全然違うでしょう。ここの遺跡は北 海道の高校の先生が発見して、そして先生達が団結して守ってくれた場所なんですよ。そのために教職を追われた人もいたけどね」 「でも、こうして守られ、残されて、気持ちのよい公園になって、子供たちが 遊びに来る。古代のご先祖様たちはさぞかし喜んでいると思うよ」 大地にどっこいしょと正座して、嬉しそうにレラさんはおむすびを食べていた。 その姿を見ていたら、私はなぜか泣けて泣けてしょうがないのだ。もう涙がボロボロと止まらなくなって、意味もなく泣けてしょうがない。不思議なのだけれど、ときどきレラさんを見ているだけで、感情が昂ぶって泣けてしょうがなくなる。理由は全くわからない。 レラさんにアクセスすると、そのまま別の世界のホストコンピュータに接続してしまうような、そんな感じなのだ。だけど、私のOSはまだ「もうひとつの世界」に対応していない。だからエラーして感情だけが乱れてしまう。 彼女と居ると、なぜ私はここに居るのかを思ってしまう。延々と太古から受け継がれてきた命の連鎖の果てにここに自分が存在することの意味を問うてしまう。 あたりまえの事だけれど、聖火リレーのように男と女が結合し子供を生んだその果てに私が存在しているのだ。たどれば縄文まで戻る、いやそのもっと先まで。その証として私が存在している。 「人間の義務はね、万物の霊長としてすべての生き物のために祈る事なんだよ」とレラさんは言う。「それが、天と地の間に垂直に立つことのできる人間の役目だ。祈り、すべての生命の魂を天に送ることが人間の義務なんだ。神はそのために人間を守ってくれるんだよ」 なんという美しい考えだろうと思った。人間ってすごいなあって思った。ヒトとして生まれた事に、初めて誇りを持てたような、そんな気がした。 だって私は、これまでずっと、人間であることが、なんだか申し訳ないように 後ろめたく感じていたのだ。この地球を蝕む者として……。 |